サッカー

ジュビロ磐田の歴史を紹介

1994年、Jリーグに加盟したジュビロ磐田は直後から積極的な補強を行い、早い段階で名門チームへの道を歩み始めます。

元ブラジル代表キャプテンであり、試合中の選手に対する激しい叱咤激励から「闘将」と恐れられたドゥンガ。日本代表でも背番号10を背負うなど「司令塔」として活躍、左足から繰り出される正確無比なキックが相手クラブの脅威になった名波浩。

「魂のフォワード」と言われ、泥臭いゴールを身上とし、その明るいキャラクターでクラブを強烈に引っ張っていった中山雅史。彼らを中心とし、1997年にはチャンピオンシップで鹿島アントラーズを破り優勝を果たします。

以降2002年まで、当時最大のライバルだった鹿島アントラーズと激しい頂上争いを繰り広げ、この間の優勝回数はジュビロ3回、アントラーズ3回と全くの互角でした。以降も天皇杯、ナビスコカップで優勝し、Jリーグ国内主要3大タイトルを全て獲得しました。

しかし2000年代後半から主力選手に衰えが見え始め、2013年についにJ2へ降格してしまいました。2014年、ジュビロの黄金期を知る名波浩が監督に就任し、積極的な戦力補強を展開、再びJ1で旋風を巻き起こすべく奮闘中です。