中田英寿選手を紹介
MFとしてまさに「チームの司令塔」として活躍、Jリーグ屈指の名選手である中田英寿元選手のこれまでの経歴を振り返っていきましょう。1995年に当時の湘南ベルマーレに入団。トップ下でJリーグ通算85試合に出場、16ゴールをあげるなど確固たる地位を築き上げます。
1996年にはオリンピック代表として選ばれ、最強と呼び声の高かったブラジル代表に対しグループリーグで勝利、「マイアミの軌跡」と呼ばれる戦いを経験しました。
1997年頃から本格的に日本代表に定着、ワールドカップアジア予選でも不動のトップ下で活躍し、日本のワールドカップ初出場、以降3大会連続出場に大きな貢献をしました。個人としても、ワールドカップでの活躍が認められ1998年イタリアリーグのペルージャに移籍します。
開幕戦で強豪ユヴェントスから2ゴールをあげるセンセーショナルな活躍を見せ一気に知名度が上昇。1999-2000年シーズンの途中にイタリア屈指の名門、ASローマへの移籍を果たしました。
翌2000-2001年シーズンではクラブが首位を独走し優勝、日本人で初めてセリエAで栄冠をつかんだ瞬間でもありました。以降も移籍を繰り返し、2006年ドイツワールドカップでの日本の敗退により引退します。
以上のように、栄光の歴史に彩られている中田英寿ですが、彼の特徴でもある、チームメートに対する「歯に衣着せぬ発言」は、大いに賛否両論を巻き起こしました。
ふがいないプレーをした選手に対し、叱咤激励の意味をこめて発した言葉は、チームを強くしたい一心から出たものであり、勝負に対する真摯さが垣間見えるものと言えます。