サッカー

遠藤保仁選手を紹介

高校時代から選手権優勝を経験するなど、早い段階からプロの注目を集めていた遠藤保仁選手は、高校卒業後の1998年にJリーグの横浜フリューゲルスに入団しました。

ルーキーイヤーから16試合に出場し、順調なプロ生活をスタートさせましたが、同年チームが消滅の憂き目にあい、京都パープルサンガへ移籍、レギュラーに定着するもチームのJ2降格に伴い、2001年からガンバ大阪に移籍しました。

以降はチームの支柱として活躍し「黄金の中盤」を形成するなど貢献度も大きくなっていきます。Jリーグ優勝、そしてアジアチャンピオンズリーグ制覇など、数々の実績を残してきました。

一方、日本代表としても名選手として活躍しました。2002年の初召集依頼約10年以上にわたり中盤として活躍、A代表通算150試合出場も達成しました。

ゲームスタイルはパスでの組み立てを得意とするゲームメーカー。正確無比なパスから決定的なチャンスを何度も作り出しています。また、彼の大きな特徴として、PKをほとんど外さない高度なテクニックを有しているということです。

ボールを見ずじっくりとキーパーを観察しながら助走を取り、重心が傾いた瞬間にそれとは逆の方向にゆっくりと蹴り出すスタイルで、ファンからは「コロコロPK」として親しまれています。

9割以上の成功率を誇り、JリーグでもPKでの通算得点ランキング上位に位置しています。以上見てきたように、遠藤保仁選手はJリーグ屈指の技巧派サッカー選手として知られています。